東大阪にはなぜ町工場が多いのでしょうか。住宅街のそばにも金属加工や部品づくりの工場が並び、「ものづくりの街」と呼ばれる理由が気になる人もいるでしょう。実は、大きな工場が一つできたからではなく、古くからの地場産業、大阪市に近い立地、工場同士の分業が重なった結果です。
東大阪の製造業事業所数は、2021年の調査で5,564。全国でも有数の集積地です。この記事では、江戸時代からの歴史や高度経済成長期の変化、実際につくられる製品、今の課題まで整理します。数字の「全国1位」が何を指すのかもわかりやすく紹介します。
東大阪にはなぜ町工場が多い?3つの理由が重なって発展した

東大阪に町工場が多い最大の理由は、昔から育った加工技術に加え、大阪市の大きな市場に近く、工場同士が協力して仕事を受けられる環境が整ったことです。一つの理由だけで説明するより、産業の歴史・立地・分業の3つを合わせて考えると理解しやすくなります。
昔から針金・鋳物・木綿などの仕事が盛んだった
現在の東大阪市に当たる地域では、江戸時代からものをつくる仕事が発達していました。代表的なのが、金属を溶かして型に流し込む鋳物、金属の線を細く引き延ばす伸線、そして河内木綿に関わる産業です。
こうした産業があった地域には、材料を扱う人、道具を直す人、加工する人が集まります。時代が変わって以前の製品が売れなくなっても、培った技術や商売のつながりを別の製品づくりに生かせました。東大阪の工業は、何もない場所に突然工場が建ち始めたものではありません。
東大阪市の市政だよりの産業史解説でも、鋳物・伸線・木綿が地域のものづくりの源流とされています。現在の町工場の多様さには、こうした長い歴史が関係しています。
大阪市の隣にあり、材料の仕入れや納品がしやすかった
東大阪市は大阪市の東側に隣接しています。かつて大阪市は大きな商業・工業の中心地で、機械や日用品などを製造する企業、それらを売り買いする商人が集まっていました。
工場を経営するうえで、注文してくれる会社が近いことは有利です。完成品を届けやすいだけでなく、仕様の相談や急な追加注文にも対応しやすくなります。材料や道具の調達先が近隣にあることも強みです。
大阪市内で工場の拡張や独立開業を考えた事業者にとって、東大阪側は有力な移転先になりました。特に戦後の経済成長期には、こうした移転や新たな創業が工場数の増加につながりました。「大阪市に近いのに、工場を構える余地があった」という条件が大切だったのです。
小さな工場同士が仕事を分け合い、幅広い注文に応えた
東大阪の町工場は、一社ですべての工程を行うとは限りません。金属を切る工場、穴を開ける工場、表面を磨く工場、部品を組み立てる工場というように、それぞれ得意な作業が異なります。
例えば、ある会社が特殊な金属部品の注文を受けても、加工の一部を近隣の協力先へ依頼できれば、自社にすべての機械をそろえる必要はありません。協力する工場が近ければ、試作品を確認したり、細かな変更を相談したりすることもしやすくなります。
市が運営する東大阪市技術交流プラザも、特定の親会社の系列に属さない企業が多く、近隣の工場とのネットワークを形成している点を特徴に挙げています。工場の多さが、さらに仕事のしやすさにつながる仕組みです。
東大阪の町工場はいつから増えた?江戸時代から高度経済成長期まで

東大阪の工業は、一度の開発でできた工業団地とは成り立ちが違います。地元で生まれた産業に、大阪市から移った工場や新しく独立した事業者が加わり、少しずつ集積が厚くなりました。
河内木綿が栄え、仕事を変えながら新しい産業が生まれた
江戸時代の河内地方では綿花の栽培や木綿に関わる仕事が盛んでした。1704年の大和川付け替えによって生まれた旧河道の土地が綿作地帯になったことも、その広がりに関係しています。
しかし明治時代になると、近代的な紡績工業による製品との競争などで、従来の木綿産業は厳しくなります。そこで、それまでの仕事を続けられなくなった人々が、歯ブラシの植毛やボタンの穴開けといった内職・加工の仕事に移る動きが生まれました。
興味深いのは、産業が衰えたことがそのまま地域の工業の終わりにはならなかった点です。人々が新しい仕事を覚えて小さな事業を始めることで、扱う製品の種類が増えていきました。昔から同じ製品をつくり続けたというより、需要に合わせて仕事を変えてきた地域なのです。
生駒山の水車を利用した伸線業が金属加工の土台になった
東大阪の東側には生駒山があります。その山麓では、川の流れを利用して水車を動かし、金属の線を加工する伸線業が発展しました。伸線とは、太い金属の線を工具で引き延ばし、必要な太さにする加工です。
できた線材は針金や金網、釘などに使われ、やがてボルトやナットをはじめとする部品づくりにもつながりました。金属の線をつくるだけではなく、それを切る、曲げる、ねじを加工するといった関連の仕事が増えていったのです。
のちに鉄道の開通と電力の普及が進むと、水車の近くだけでなく平地でも工場を営みやすくなりました。東大阪市の歴史資料の紹介にも、水車による伸線業が電力供給を経て広がった経緯が記されています。自然条件から生まれた技術が、近代工業へ受け継がれた例です。
鋳物業から切削・研磨などの部品加工へ広がった
鋳物とは、熱で溶かした金属を型に流し込み、冷やして形をつくる製法です。河内地方に伝わった鋳物の技術は布施周辺にも広がり、農具や鍋、釜などの製造に使われました。
その後、機械や船などの需要が大きくなると、鋳物をつくったあとに削って形を整える切削や、表面を磨く研磨といった作業も必要になります。製品が複雑になるほど、工程ごとの専門業者が活躍する余地が増えました。
鋳物の仕事がきっかけで、金属加工全体の幅が広がったと考えるとわかりやすいでしょう。現在の東大阪に金属部品や機械関連の工場が多い背景には、こうした技術の積み重ねがあります。ただし、すべての工場が鋳物業から直接生まれたという意味ではありません。
鉄道・電力の整備と戦後の需要増で工場が急増した
大正期以降、鉄道や電力供給の整備が進み、工場の立地条件は大きく変わりました。工場に必要な動力を確保しやすくなり、大阪市と東大阪地域を行き来する利便性も高まります。
さらに戦後の高度経済成長期には、家電や機械などの生産が拡大しました。完成品メーカーを支える部品工場や加工業者にも注文が増え、大阪市内から広い作業場所を求めて移ってくる企業、下請けの仕事をもとに独立する人などが増えました。
つまり、町工場の源流は江戸時代までさかのぼりますが、現在につながる密集した工業地域の形成には、近代化と戦後の成長が大きく関わっています。歴史上の始まりと、工場数が大きく増えた時期は分けて考える必要があります。
大阪市に近いだけではない、東大阪に工場が集まる立地の特徴

「大都市に近いから」という説明だけでは、工場が特に東大阪へ集まった理由を十分に説明できません。昔の土地の使われ方、交通の整備、地域ごとの産業の違いにも注目すると、町工場の集積が理解しやすくなります。
大阪市内より工場用地を確保しやすい時期があった
大きな都市の中心部では、人や建物が増えると新たな工場用地を確保することが難しくなります。工場を広げたい事業者にとって、周辺地域への移転は自然な選択肢の一つです。
東大阪地域には以前、農地や比較的開発が進んでいない土地があり、大阪市内に比べて用地を求めやすい条件がありました。加えて、大阪市に隣接するため、取引先や商業の中心から大きく離れずに移転できます。
大阪府の東大阪の工場立地に関する研究でも、大阪市内の土地不足や土地価格、電力供給などが工場立地の背景として分析されています。もちろん、現在も必ず土地が安いという意味ではありません。重要なのは、工場が増えた当時の条件です。
鉄道・道路網が整い、大阪の取引先とつながりやすい
東大阪には近鉄各線、JRおおさか東線、大阪メトロ中央線などの鉄道が通り、幹線道路や高速道路のネットワークもあります。こうした交通は人の移動だけでなく、資材や製品の輸送を考えるうえでも大切です。
特に製造業では、納品が一度で終わらないことがあります。試作品を渡して確認を受け、調整したものを再び届けるというやり取りがあるためです。取引先との距離が近ければ、変更への対応がしやすくなる場合があります。
ただし、工場の集積がすべて現在の高速道路によって生まれたわけではありません。昔からの産業があり、鉄道や電力の整備、その後の道路網の発達が重なったと捉えるのが正確です。
高井田・長瀬・生駒山麓など、地区によって成り立ちが違う
東大阪市内の工場は、均等に散らばっているわけではありません。大阪市との境に近い高井田周辺は、金属加工など多様な中小工場が集まる地域として知られています。長瀬周辺にも小規模な町工場の集積があります。
一方、歴史をさかのぼると、生駒山麓の枚岡周辺では水車を利用した伸線業が重要でした。大阪市側から工場が移る動きと、地域に昔から存在した産業が発達する動きは、場所によって比重が違います。
東大阪市は1967年に布施市・河内市・枚岡市が合併してできました。このため「東大阪の町工場の歴史」といっても、一つの旧市域だけの話ではありません。西側と東側の異なる産業の流れが、現在の一つの市にまとまっている点も見落とせません。
小さな町工場が多いのに技術力が高いのはなぜ?分業の仕組み

東大阪では、大企業一社が大量生産を担う形だけでなく、得意分野の違う中小企業が互いに協力して製品をつくる形が発達しました。この分業の仕組みは、町工場が多く残り、多様な仕事を引き受けてきた理由の一つです。
一社ではできない加工も、近所の専門工場と組み合わせられる
金属部品一つをつくる場合でも、材料の切断、穴開け、曲げ、熱処理、表面処理など、複数の工程が必要になることがあります。すべての設備や技術を一社で持とうとすると、大きな投資が必要です。
そこで、最初の加工を得意とする会社が仕事を受け、残りの工程を専門の協力先へ頼む方法が役立ちます。周辺に工場が多ければ、加工内容に合った相手を探しやすく、途中で問題が起きたときも相談しやすくなります。
これは、どの工場も同じものをつくっているという意味ではありません。工場がそれぞれ違う技術を持っているからこそ、集まる意味があるのです。近さそのものより、専門性の組み合わせが大きな強みとなります。
少量生産・試作品・細かな変更に対応できる会社が育った
大量生産では製品を同じ形で繰り返しつくることが重視されます。しかし実際のものづくりには、「まず一つ試したい」「小さな部分だけ変えたい」「古い機械に合う部品が必要」という注文もあります。
こうした仕事では、加工の相談に応じてくれる会社や、特殊な工具を使える会社が近くにあると便利です。試作品をつくり、問題があれば図面や加工方法を見直すというやり取りもしやすくなります。
もちろん、東大阪のすべての工場が少量生産に強いわけではなく、量産を得意とする企業もあります。それでも、多様な加工会社が集まるため、相談内容に応じた組み合わせを考えやすいことが地域全体の強みです。
特定の大企業の系列だけではない取引関係が広がった
工業都市の中には、大きな完成品メーカーを中心として、系列の協力会社が集まる地域もあります。東大阪でも大企業向けの仕事は大切ですが、それだけで地域の産業が成り立っているわけではありません。
東大阪市技術交流プラザは、親会社との系列を持たない企業が多く、近隣の協力工場とのネットワークを築いていることを特徴として紹介しています。取引先が一社だけに限られなければ、別の業界の注文を受けたり、自社製品づくりへ取り組んだりする余地も生まれます。
ただし、系列に属さなければ経営が必ず安定するわけではありません。自分たちで仕事を見つける努力も必要です。東大阪の強さは、独立した企業同士が協力する柔軟さと、それぞれが独自の技術を磨いてきたことの両方にあります。
東大阪の工場はどのくらい多い?全国の数字と主な製品

「日本一の町工場の街」と言われることもある東大阪ですが、何を比べるかで順位は変わります。また、実際につくっているものはネジや金属部品だけではありません。
2021年調査では製造業が5,564事業所、全国5位
東大阪市のくらしのガイド2025によると、2021年の経済センサス活動調査で、市内の製造業事業所数は5,564。全国の市区町村で5位、政令指定都市を除くと1位と紹介されています。
また、同じ資料では可住地面積1平方キロメートル当たり107.6事業所で、製造業事業所数4,000以上の都市を対象にした比較では密度が1位です。大阪市の14,860事業所より総数は少なくても、比較対象の大都市より密集していることがわかります。
| 指標 | 東大阪の数値・位置づけ | 読み方 |
|---|---|---|
| 製造業事業所数 | 5,564事業所・全国5位 | 2021年調査の数値 |
| 政令指定都市を除く事業所数 | 全国1位 | 比較対象を限定した順位 |
| 可住地面積当たりの事業所密度 | 107.6事業所/平方キロメートル | 事業所数4,000以上の都市で1位 |
ここで大切なのは、「全国1位」があらゆる指標での1位という意味ではないことです。数値は調査時点のものであり、2026年時点の工場数そのものを示すわけでもありません。「町工場」だけを独自に数えた順位ではなく、製造業事業所についての統計です。
ネジ・金網・金属部品から、プラスチックや日用品まで幅広い
東大阪の工場でつくられるものとして、ネジ、ボルト、ナット、針金、金網などの金属製品は代表的です。これらは伸線や金属加工の技術と関係が深く、ほかの機械を組み立てる際にも欠かせない部品です。
しかし、町工場の仕事は金属だけではありません。プラスチック製品、歯ブラシなどの生活用品、家具やカバンに関わる製造など、さまざまな分野があります。完成品をそのまま店で見かけるものもあれば、製品の内部に組み込まれて外からは見えない部品もあります。
東大阪市のものづくり紹介では、橋、航空機、自動車などの部品供給に関わる企業や、身近な生活を支える製造についても紹介されています。「工場の数が多い」だけでなく「仕事の種類が多い」という点が特徴です。
小規模でも有名製品を支え、独自製品に挑む企業がある
町工場という言葉から、昔ながらの小さな作業場だけを想像するかもしれません。実際には、コンピューター制御の機械で精密加工する企業や、独自に開発した商品を販売する企業もあります。
完成品のメーカー名が知られていても、その内部の部品を製造している企業の名前は表に出ないことがあります。小さな金属部品の品質が、機械の耐久性や動きに関わる場合もあるため、見えにくい加工技術にも大きな役割があります。
東大阪のものづくりを知る際は、工場の建物の大きさだけで判断しないほうがよいでしょう。従業員数が少ない会社でも、特定の加工で強みを持つことがあります。逆に、すべての町工場が最先端製品に関わっているわけではなく、日々の暮らしを支える身近な仕事も重要です。
東大阪と東京・大田区などの町工場は何が違う?

町工場が集まる地域は東大阪だけではありません。東京の大田区や新潟県の燕市なども金属加工を中心とした産業集積地です。比べてみると、東大阪の特徴がはっきりします。
東京の大田区とも共通するのは、工場が協力し合う環境
大田区も、長く続く金属加工業や高度な技術を持つ中小企業が集まることで知られています。多くの専門工場が近くにあることで、複数の工程を組み合わせて製品をつくれるという点は東大阪と共通します。
ただし、両地域の発展の仕方は同じではありません。大田区では都心から移転してきた工場などが産業の集積を支えたのに対し、東大阪では生駒山麓の伸線業、河内の鋳物や木綿、そして大阪市内からの移転が重なりました。
「どちらの技術が上か」と単純に比べるより、それぞれがどの産業から発達し、どんな仕事を得意とする企業が集まってきたかを見たほうが実態に近づきます。産業の歴史が異なるからこそ、同じ町工場の街でも個性があるのです。
東大阪は一つの特産品より、多様な業種の組み合わせが特徴
新潟県の燕市は金属製品の産地として知られますが、東大阪は金属加工に加えて、樹脂加工、機械、日用品など、さまざまな製造業が集まっています。必ずしも市全体で一つの完成品に特化しているわけではありません。
機械システム振興協会の地域集積比較では、東大阪市、大田区、燕市を比べ、いずれも金属製品製造業が重要である一方、東大阪では業種構成に広がりがあることが示されています。
この幅広さは、新しい製品を考えるときにも意味があります。金属の部品だけでなく、別の材質や工程が必要になっても、周辺に相談先が見つかる可能性があります。東大阪が「何でもつくれる街」と呼ばれるのは、一社ですべてをこなすという意味ではなく、多様な事業者が集まっているということです。
町工場が多い東大阪にも課題はある?住宅との共存と担い手不足

町工場が集まることには強みがありますが、工場が多ければ将来も安心というわけではありません。住宅都市でもある東大阪では、工場の操業環境を守ることや、技術を次世代へ引き継ぐことが重要になっています。
工場の隣に住宅が増えると、音や振動をめぐる問題が起こる
長く工場が立ち並んでいた場所でも、廃業や移転で空いた土地に住宅が建つことがあります。すると、以前から操業してきた工場と、新しく住み始めた人との間で、騒音や振動、車の出入りなどをめぐる問題が生じることがあります。
工場にとっては必要な作業であっても、近隣住民には暮らしへの影響があるかもしれません。反対に、工場の活動が制限されすぎると、これまで育ってきた地域の製造業が続けにくくなります。どちらかだけを優先すれば解決するとは限らない問題です。
東大阪市は住工共生のまちづくりとして、工場の操業環境と市民の生活環境をともに守る施策を進めています。町工場の集積を将来に残すには、技術だけでなく土地の使い方にも工夫が必要なのです。
後継者や人材の確保、取引環境の変化への対応も必要
小規模な工場では、社長自身が熟練した技術者であることも珍しくありません。こうした場合、後継者が決まらなければ、設備や取引先があっても事業を続けられなくなる可能性があります。
また、原材料費やエネルギー費用の変動、取引先の生産体制の変化、新しい設備への投資など、経営面での判断も欠かせません。かつて多くの注文があった製品が、今後も同じように売れ続けるとは限らないためです。
東大阪市は2024年度の製造業に関する実態・ニーズ調査を公表し、企業が抱える課題や今後の事業展開を把握しています。町工場が多い街という評価と、個々の会社が抱える経営上の難しさは分けて考える必要があります。
工場を守る制度や、地域に開く取り組みが進んでいる
東大阪市では2013年施行の住工共生のまちづくり条例に基づき、工場が集まる環境を守る取り組みを進めています。工業地域の全域と準工業地域の約91%を「モノづくり推進地域」に指定するなど、工場の立地を維持する仕組みもあります。
これには、工場の仕事を続けやすくすると同時に、住宅を建てる人にも周辺環境を理解してもらう意味があります。工場と住まいが近い東大阪だからこそ、互いの事情を知ることが重要です。
また、普段は入りにくい工場を一般に開く「こーばへ行こう!」といった活動も行われています。製造現場を身近に感じてもらうことは、地域への理解や、ものづくりに関心を持つ人を増やすきっかけにもなります。
東大阪の町工場を実際に知りたいときは?街歩きと見学のポイント

町工場が多い理由を文字だけで読むより、実際の製造現場や街並みを知ると、工場が住宅と近接しながら存在する東大阪の特色が理解しやすくなります。ただし、一般の工場は自由に見学できる施設ではありません。
高井田周辺には工場の集まる街並みが残っている
高井田は、東大阪の中でも工場の集積がよく知られている地域の一つです。住宅や商業施設と工場が近くに並ぶ場所もあり、製造業が地域の暮らしに溶け込んでいる様子を感じられます。
ただし、工場の建物を外から見ただけでは、その中で何をつくっているかはわからないことも多いものです。小さな部品を加工している会社もあれば、複数の工程を持つ企業もあります。町工場らしい外観だから、どこでも同じ仕事をしているとは限りません。
街歩きをする場合は、歩道など通行できる場所から様子を見るにとどめ、工場の出入口や搬入スペースをふさがない配慮が必要です。生産の現場は観光施設ではなく、日常の仕事をする場所です。
「こーばへ行こう!」なら工場見学や体験の機会がある
ものづくりを直接見たい人には、東大阪で開催されるオープンファクトリー「こーばへ行こう!」が選択肢になります。参加する工場を訪ねたり、技術を使ったワークショップに参加したりできるイベントです。
2026年は布施エリアで10月30・31日、高井田エリアで11月6・7日、吉田エリアで11月13・14日の開催が案内されています。ただし、参加工場や実施内容は会場によって異なり、一部の見学・体験には事前予約が必要です。
詳細はこーばへ行こう!公式サイトで確認できます。通常の工場見学とは違い、公開を予定している会社を訪ねられる点が魅力です。日程や受け入れ条件は変更される場合があるため、出かける前に最新の案内を確かめましょう。
まとめ|東大阪に町工場が多いのは歴史・立地・工場同士の協力があるから
東大阪に町工場が多い理由は、江戸時代から続く鋳物・伸線・木綿などの技術、大阪市に近い立地、戦後の工場移転や創業、そして専門の工場同士が協力する分業の仕組みが重なったためです。特定の大企業が一社あるからではなく、多様な中小企業が集まることで発展してきました。
2021年調査では製造業事業所数が5,564で全国5位。一定規模以上の都市を対象とした事業所密度では1位とされています。ただし、順位は比較条件や調査年を確認することが大切です。
現在は後継者不足や住宅との共存などの課題もありますが、身近な日用品から産業用の精密部品までを支える技術と企業同士のつながりは、東大阪を理解するうえで大きな特徴です。「工場が多いからものづくりの街」なのではなく、さまざまな工場が協力できる街だからこそ、多くの仕事が集まってきたと考えると、その理由がより明確になります。



